南九州の外城の町並み、麓の町並みの記録です。
出水麓





出水麓は薩摩藩最大の外城(とじょう)です。出水(いずみ)は国境を守る要衝の地に位置し、亀ヶ城を背にした北側の高台に「高屋敷」と呼ばれる高持ち郷士の住む地区が作られ、野町をはさんで、平良川より西の平地に下級郷士が居住しました。出水麓は規模の大きさから知る人ぞ知る存在でしたが、平成7年に重要伝統的建造物群保存地区に指定され、全国的に知られるようになりました。西南の役や太平洋戦争の戦災からも免れ、麓造成時の街路や屋敷割りを今も良く残しています。

出水_01
仮屋馬場
御仮屋(出水小学校)の前に幅員の広い馬場が東西に一直線に延びています。出水麓は、肥後との国境に近く、関ヶ原の戦い後の国境の緊張がしばらく続いたこと等から、薩摩藩が生んだ郷中教育が特に厳しく行われ、名だたる出水兵児(いずみへこ)を育んできたと言われます。出水兵児の伝統、気風が出水の小学校に通う子供たちに脈々と伝わっているかも知れません。
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御仮屋門
御仮屋門は島津義弘公の命により当時帖佐にあった居館から移築したものと言われています。

出水_03
竪馬場
出水麓(高屋敷)は仮屋馬場から南北に四本の馬場、東西に小路と菱刈街道が延び、碁盤の目状に整然と町割りされています。馬場の両側には石垣と生垣が高く続き、屋敷には大樹が高くそびえています。
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竹添邸と税所邸
いずれも2008年当時の門。竪馬場に面して御仮屋の近くに屋敷を構え、武宮邸を含め一般公開されています(武宮邸は庭園のみ公開)。邸内を訪れると薩摩藩時代の出水郷士の生活をうかがい知ることができます。
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竪馬場
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武宮邸
玉石垣と生垣が屋敷に巡らされています。
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諏訪馬場
石垣は北薩地方の麓に見られるように川原の玉石(丸石)をそのまま積み上げたもの。きれいに刈り込まれた生垣とよくマッチしている。丸石が武骨に積み上げられた石垣はよく崩れないものです。諏訪馬場には出水麓では少数派である石柱門も見られます。

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諏訪馬場
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諏訪馬場

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山崎馬場
出水麓には竹添邸や税所邸以外にも下のような趣のある武家門が多く残ります。出水麓の武家門の多くは腕木門と呼ばれます。門柱に腕木を貫通させ、屋根を載せる出桁を腕木で支えることから腕木門の名称が生まれたそうです。下の門は門柱から前後に貫通している腕木が見えます。門柱や腕木を後ろの控え柱で支える例が多い。
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山崎馬場
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三原小路
概ね乗馬の訓練ができる幅員の街路を馬場、それより幅員の小さい街路を小路と称するようです。こちらのほうが藩政時代の麓の景観をよく残しているかも知れません。

出水_13
菱刈街道
出水_14
宮路邸
出水麓ではめずらしい石塀。
出水_15
右は高屋敷への急坂。坂(うぐいす谷)を下ると本町通り商店街。そこから平良川を渡るともう一つの麓集落、向江地区です。

訪問日:2008.7.1
備 考:出水麓歴史館(2017年オープン)

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