南九州の外城の町並み、麓の町並みの記録です。
入来麓





入来麓は中世から江戸期にかけて武家屋敷の町並みが整備されたもので、樋脇川の川原石を使用した玉石垣で区画割りされ、中世からの地割と近世に作られた街路が残っている貴重な麓地区です。平成15年に重要伝統的建造物群保存地区に指定されました。

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茅葺門

入来は中世に一帯を治めていた入来院氏の領地であり、入来院氏が本拠とした清色城の裾に家臣団を居住させた頃に現在の入来麓の原形が作られたと考えられています。概ね北側に中世の地割り、南側に近世の直線的な街路が残ります。入来院氏は島津氏との間で対立と和解を繰り返し、島津氏の軍門に下った後、所領替えに伴って湯之尾郷に移封されますが、江戸時代に入り再び入来郷に転封され、以後島津家の重臣として明治維新を迎えるまで入来を長年治めました。
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仮屋馬場

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領主仮屋跡
清色城の山裾を切り開き、現在の入来小学校の敷地となっている高台に領主入来院氏の仮屋を置きました。
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尾迫馬場
街路がカーブし、中世からの地割りを残している地区です。尾迫馬場を上った先に武家門がみられます。朱色が鮮やかです(2008年当時)。

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尾迫馬場
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竪馬場
竪馬場を上がると尾迫馬場につながる。入来麓の北側は平地である南側に比べ起伏のある地形となっています。

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赤城馬場
こちらも街路が緩やかにカーブし、中世からの地割りを残します。重そうな笠石を載せた立派な石柱門やイヌマキの門がみられます。近くに麓の家臣団の産土神として信仰された赤城神社があります。
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赤城馬場
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旧増田家住宅(延命院跡)
左上は2007年当時の石蔵。右上は2012年に旧増田家住宅を復元工事しているようす。

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中ノ馬場
仮屋馬場と平行に街路が延びます。中ノ馬場には入来院家(庶流)の茅葺門が面し、多様な形の門が見られるのが興味深い。上にはイヌマキの門もみえます。下の武家門は腕木門です。

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中ノ馬場
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犬ノ馬場
中ノ馬場を横切って街路が東(樋脇川)に向かって直線的に延び、左右に見事な玉石垣と生垣が続いています。

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十文字馬場
こちらも街路が直線的に東に延びている。玉石垣の上にイヌマキや茶木が植えられています。十文字馬場には武家門がみられます。
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十文字馬場

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尾迫馬場から十文字馬場を望む
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山河馬場
樋脇川に沿って南北に街路が走る。 入来_18
船瀬馬場
入来麓の南端に位置し、川内川の支流である樋脇川を行き来する船の発着場(船瀬)がかつてありました。

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樋脇川
入来麓は山城の清色城と樋脇川の間に挟まれ、軍事的に優れた立地に作られた麓であると言えます。


訪問日:2008.8.2(一部:2007.11、2012.9)
備 考:旧増田家住宅が復元工事を終え、2014年4月から公開中。母屋はおもてとなかえの二棟形式。近くに入来麓観光案内所あり。

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