南九州の外城の町並み、麓の町並みの記録です。
樋脇麓





樋脇麓は、樋脇郷の中心・塔之原に地頭仮屋が置かれ、郷士の大部分が麓に居住しました。樋脇郷は、入来郷の六ヶ村(倉野・塔之原・市比野・久住・中村・楠元)を入来郷から分離し成立させたもので、地頭を置き郷内の行政・軍事・警察の任に当たらせました。樋脇麓は、藩による新田開発の用水路事業竣工(1703年)に伴い、樋脇川右岸、現在の若宮神社(八幡神社)付近から64戸の郷士が移り住んだという歴史があります。

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天神地区の町並み
天神地区は地頭仮屋が置かれた荘内地区への入口にあたり、低い石垣や生垣が残ります。
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武家門
天神地区から荘内地区に向かう途中に二棟の武家門がみられます。
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地頭仮屋跡(庄内地区)
地頭仮屋は1671年、樋脇川の左岸、現在の庄内地区に置かれました。明治に入り、現在の樋脇小学校につながる外城第4郷校が設置された後、天神女学校や製糸場、製茶場が建てられたということです。左上の建物がある敷地が地頭仮屋跡(2008年当時)。建物は現在なく石垣のみ残っています。

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庄内地区の町並み
樋脇の郷士が教練に励んだ馬場が一直線に延び、街路の左右に低い石垣と生垣が端まで続いています。

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馬場の石垣
石垣は、川原石を積み上げたもの(右)と切石を積んだもの(左)が見られます。石垣の上に生垣が設けられ、薩摩藩独特の景観がみられます。
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武家門と石柱門

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馬場の石塀
馬場の端付近に石塀がみられます。

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馬場の端から馬場の入口を望む

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庄内地区
上と同様に左右に袖屋根と袖壁を備える立派な武家門が見られます。
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天神地区
2012年に訪れた時の武家門。2008年当時(上)よりも門の痛みが進んでいました。

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樋脇支所の裏手の武家門
袖屋根に袖壁、潜り戸を備えた立派な門です。
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近くの武家門
こちらも潜り戸を備える立派な門です。
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樋脇小学校近くの武家門
屋敷はなく門と石塀が残る。県内にはこのような状態の遺構がいくつかの麓でみられます。

訪問日:2012.9.12(一部:2008.11)
備 考:樋脇町塔之原に確認できる武家門は10棟(天神・庄内地区6棟、他地区4棟)

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