南九州の外城の町並み、麓の町並みの記録です。
高江麓





高江麓は川内川河口の左岸に位置する小さな麓ですが、薩摩藩の麓らしい景観がしっかりと残っています。高江郷は川内地域にある八郷(隈之城・平佐・水引・高江・永利・中郷・ 高城・高郷)の一つで、現在の峰山小学校(峰ヶ城址)に地頭仮屋が置かれたと言われています。

高江_01
内場馬場
高江_02
正面は峰山小学校(峰ヶ城址)

高江は、大雨が降ると川内川の堤防が壊れやすく、口伝えによると、江戸末期の頃、川内川氾濫、白浜の堤防決壊のため、白浜の堤防沿いに屋敷を構えていた48戸の大方の士族(郷士)が、今の内場・峰下に転居し、今に残る内場・峰下の武家屋敷が形成されたとのことです。
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内場地区
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内場馬場
切石を積んだ低い石垣と生垣、低い石柱門が見られます。
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内場馬場
武家屋敷跡の案内標識が角に設けられています。

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内場地区
野積みされた石垣と竹垣の組合せもみられます。野積みの石垣と竹垣はどちらも薩摩藩の麓らしい景観をつくる重要な要素です。
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武家門
内場地区に唯一の武家門が残っています。
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峰下地区
薩摩藩特有の見事な石垣と生垣がみられます。
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峰下地区

高江は、長年洪水に苦しんできましたが、薩摩藩が堤防工事に取り掛かり、8年にわたる難工事の末、1687年に3つの水門を備えた長さ640mの立派な堤防(長崎堤防)が完成し、高江の干潟を300町歩の豊かな水田(高江新田)に変えました。工事には高江の村人だけでなく藩内の平佐・隈之城・樋脇・東郷・水引などから徴集され、作業にあたったそうです。長崎堤防は貴重な地域遺産として土木学会の「選奨土木遺産」に選定されています。

高江_11
江之口橋
高江の新田には支流である八間川の治水も欠かせなかったようです。肥後の石工、岩永三五郎によって河口近くに水門、眼鏡橋、堤防が築かれました。完成は1849年。
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八間川の水路橋
こちらも岩永三五郎作です。右上は峰ヶ城址方角の遠景。

訪問日:2008.5.14
参考文献:鹿児島県教育委員会「あきらめなかった仙右衛門」他

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