南九州の外城の町並み、麓の町並みの記録です。
里麓





甑島は、薩摩半島から西方の東シナ海上に浮かぶ列島で、古くから海上交通の要所であり、藩政時代、外国船の監視、藩の交易船の支援、台風や海が時化る時の避難港として、重要な役割を担ってきました。甑島には上甑島の里、中甑、下甑島の手打に地頭仮屋が置かれ、麓集落が形成されました。里麓には玉石垣を中心とする武家集落が残っています。

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中町馬場
数百メートルにわたり街路の左右に古い玉石を積んだ玉石垣が続き、石垣の上には生垣が設けられています。中町馬場の石垣は古い時代に作られたものと比較的新しい時代のものがあるようです。
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中町馬場
馬場の入口に武家屋敷跡の案内が立っています。右上は八幡神社。

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中町馬場
石垣を廻らした屋敷は200坪余りあり、屋敷内にはイヌマキが見られます。
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中町馬場
屋敷の入口は屋敷の中が見通せない工夫がされています。里は鹿の子ユリが有名ですが四季折々の花が見られます。里麓を訪れた時期(11月下旬)は石垣に白い花を咲かせていました。

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亀城址
亀城は、中世から島領主として甑島を約四百年支配した小川氏の居城です。小川氏は1595年に知行替えで郎党200余名とともに田布施に移り住んだそうです。甑島は江戸時代に入り、薩摩藩の直轄領となりました。

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地頭仮屋跡
地頭仮屋は里小学校の敷地に置かれました。甑島の地頭は移地頭(居地頭)と呼ばれ、任命された地頭は鹿児島城下に居住せず甑島に赴任しました。
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里の町並み
里町は玉石垣で集落の景観が整備されています。
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里の町並み
甑島の家々は台風に備えるため屋根を低くし家屋を石垣と生垣で囲むようにしています。

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新町馬場
新町馬場でも街路の左右に玉石垣と生垣が続いています。
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津口番所跡
薩摩藩は甑島の里、中甑、手打に外国船の出入りや積荷を監視するための番所を設けました。津口番所は薩摩藩内の24か所に設けられたそうです。

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トンボロ(陸繋砂州)
里の集落はトンボロと言われる陸地と島が繋がった砂州の上に形成されています。砂州といっても南北に1500メートル、最大幅1000メートル、最小幅250メートル、高さ2,3メートルという非常に大きなものです。
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里港
二代目高速船シーホーク(右上)は2014年に引退し、現在(2019年)は三代目高速船甑島が川内港との間で就航しています。
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長目の浜と鹿の子大橋
長目の浜は甑島随一の景勝地です。右上は鹿の子大橋。平成5年に甑大明神橋とともに開通し、上甑島と中甑島が一つに結ばれました。鹿の子大橋の向こうは中甑島、その奥は下甑島です。

訪問日:2008.11.19-20
備 考:2020年の完成を目指して中甑島と下甑島をむすぶ藺牟田瀬戸架橋の工事が現在進んでいます。完成すると3島がようやく一つに結ばれ、里から手打に向かうのにこれまでのように島づたいに船で移動する不便が解消されるようになります。

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