南九州の外城の町並み、麓の町並みの記録です。
手打麓





手打(てうち)は下甑島の中心集落であり、藩政時代に地頭仮屋が置かれ、手打湾に沿って細長く麓が形成されました。手打麓には玉石垣を中心とする武家集落が残り、石垣に沿って南国のソテツや色とりどりの花が咲き、甑島らしい景観が見られます。

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武家屋敷通り
手打集落の中を約700mにわたり左右に玉石垣を積んだ通りが続きます。石垣の上には生垣が設けられ、白やピンクなど色とりどりの花が咲いています。
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手打郵便局付近の町並み
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地頭仮屋跡
現在の薩摩川内市下甑支所(旧下甑村役場)に地頭仮屋が置かれました。1611年、島津氏の家臣である本田親政が初代地頭として甑島に赴任し、以後二十三代に亘り移地頭を置き、甑島を統治させます。
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地頭仮屋跡付近の町並み
地頭仮屋跡の正面から手打湾に向かう街路にも玉石垣が見られます。

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郷士館前の町並み
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下甑郷士館
甑島の貴重な民俗資料が展示されています。
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武家屋敷通り

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街路灯
手打麓には武家屋敷通りにふさわしい街路灯が設けられています。夕方になると一斉に明かりが灯り、通りが風情のある表情となります。通りは手打小学校に通うこどもたちの通学路を兼ねているようです。
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手打の屋敷
甑島は風が強くまた台風の通り道です。屋根を低くした寄棟造りが主であり、屋敷を囲む石垣や生垣で家屋を風や台風から守っています。島らしくソテツが植えられ、本土の麓とは異なる独特の景観が見られます。通りから入口を一段高くした屋敷も複数見られます。

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手打の屋敷
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新田神社付近
手打の新田神社は13世紀に小川氏が水引郷新田宮(現在の新田神社)の末宮として勧請したと伝えられるそうです。
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津口番所
手打港にも外国船や積荷を監視する津口番所が設けられました。右上は手打港に入港する高速船シーホークの様子(2008年)。手打港への寄港は2012年に廃止され、現在は高速船とフェリーが入港する長浜港から手打行きの地域コミュニティバスが運行されています(2019.5)。

甑島は見どころとなる名所が多い島です。
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下甑手打診療所
Dr.コトー診療所のモデルとなった手打診療所が集落から小高い丘の上にあります。右上は釣りバカ日誌のロケに使われた手打の民家です。
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釣掛埼灯台
下甑島の最南端にある大型の灯台。台湾航路の開設に伴い明治29年に建てられました(当時の灯台は昭和20年の空襲で被害を受け、昭和26年再建)。灯台から西に少し回ったところにキリシタン殉教地の碑が立っています。
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しんきろうの丘
歌碑は青瀬地区在住の医師が山越えで瀬々野浦に往診する途中に見えた蜃気楼を謳ったもの。右上は瀬々野浦の断崖から見えるナポレオン岩。海面からの高さが122mもある。

訪問日:2008.11.20-21

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