南九州の外城の町並み、麓の町並みの記録です。
吉利麓





吉利(よしとし)は、薩摩半島の中西部に位置する地区で、幕末に活躍した小松帯刀ゆかりの地として知られます。藩政時代は小松家の私領地であり、領主仮屋の周りに小松家家臣団を中心とする麓が形成されました。吉利麓は小規模ながら馬場を中心に薩摩藩の麓らしい町並みが残ります。

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小松家はもとは大隅の根占を所領していた豪族の禰寝(ねじめ)氏で、禰寝氏は島津氏の配下となってから1595年の領地替えにより根占から吉利に移封され、以後吉利郷2600石の領主として代々この地を治めます。24代清香のときに藩の許しを得て小松に改姓しました。小松家は御一門に次ぐ一所持ちの家格で、藩政の中枢を担うことになります。
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領主仮屋跡
小松家の領主仮屋は旧吉利小学校の敷地に置かれました。領主仮屋の御成門(正門)は南側にあり、奥の階段を上がると本殿(仮屋)、西門の北には倉、東の角には小松家(禰寝家)の重代の文書・宝物を所蔵する宝物倉があり、北門の前の馬場は馬乗馬場となっていたとのことです。

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領主仮屋前の馬場

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領主仮屋前の馬場
馬場に沿って石垣と綺麗に剪定された生垣が続き、馬場に沿って三棟の武家門が建っています。
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腕木門
左右に袖屋根を備える立派な門で、後方に控え柱を備えています。正面は屋敷が見通せないように目隠しとなる生垣が配置されています。

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馬場
古い石柱門、切石積みの低い石垣、水平に真っすぐ延びる見事な生垣が見られます。
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祝日の馬場
左上の屋敷は馬場から一段上に設けられ、正面には武家門が建っていたと思われます。

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吉利の町並み
長い階段の途中に武家門が見られます。
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吉利の町並み
麓の魅力は意外な場所に武家門が見られること。麓を散策すると発見と出会いがあります。

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清浄寺
小松家の菩提寺は園林寺でしたが、明治2年の廃仏毀釈により廃寺とされ、旧吉利小学校を見下ろす高台の清浄寺(しょうじょうじ)が小松家の新たな菩提寺になりました。清浄寺の境内に小松帯刀の像が立っています。

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旧吉利小学校
校庭は芝生で気持ちよく運動できそうです。正面の階段を上がった敷地に地頭仮屋が置かれたと考えられます。

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吉利の風景

小松帯刀について
小松帯刀は、1835年に喜入(現在の鹿児島市喜入町)領主である肝付兼善の三男・尚五郎として生まれました。22歳で吉利領主・小松清猷の養子となり家督を相続し、小松尚五郎から小松帯刀清廉に改名します。吉利領主として郷内の治績に尽くし「小松家の名君」と呼ばれたそうです。帯刀は、27歳の若さで薩摩藩家老となり、島津久光や西郷隆盛、大久保利通らの働きを助け、薩長同盟や大政奉還に尽力しました。維新後は明治政府での活躍を期待されましたが、36歳の若さで亡くなり、現在は吉利の小松家歴代墓所(園林寺跡)に眠っています。

訪問日:2008年11月1日(一部2007年11月3日、2011年11月7日)
備 考:園林寺跡入口に駐車場・トイレ・説明案内所が整備。吉利麓に確認できる武家門は5棟。
参 考:鹿児島県「歴史の宝箱」等

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