南九州の外城の町並み、麓の町並みの記録です。
永吉麓





永吉は、薩摩半島の中西部に位置する集落で、藩政時代は永吉郷と呼ばれ、永吉島津家の私領地でした。佐土原から島津豊久の遺臣が移り住んだ永吉の麓は、立派な馬場はみられないが、武家門が点在し、薩摩藩の麓らしい風景が残ります。

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永吉島津家は、島津4兄弟の4男・家久を始祖(初代)とします。4男・家久は戦上手で知られ、豊後・大友軍との戦いの功績によって義久から佐土原領を与えられ、串木野城から佐土原城に赴任しました。しかし、家久は佐土原城で病死し、嫡男・豊久が佐土原領を相続します。ところが、豊久は関ヶ原の戦いで義弘の殿軍を務め戦死し、佐土原領は家康の戦後処理によって没収されます。やむなく豊久の遺臣は義弘を頼り薩摩の永吉に移り、喜入忠栄を跡目(養子)に迎えて永吉島津家を興しました。忠栄には後継ぎがなく藩主忠恒の9男・忠雄が永吉家を継承します。
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永吉麓の武家門(2007年)
永吉小学校(仮屋跡)の近くに建つ立派な武家門。
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村長の家
村長の家と呼ばれた立派な屋敷。古民家を改装しグループホームに利用。非常にいい試みでしたが古民家は残念ながらその後取り壊しに。入口の武家門のみ残る。

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永吉麓の武家門

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永吉麓の武家門
2007年当時の門に比べると茶色に塗り直されているようです。門から石垣と生垣が続いている。

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永吉麓の洋館(医院)
昭和3年竣工。平成19年に国の登録有形文化財に指定。

訪問日:2011年10月7日(一部2007.11.3、2008.11.1)
備 考:豊久の墓は天昌寺跡、家久の墓は梅天寺跡。南郷城跡は永吉小から山手に入ったところ。
    永吉麓は画像が少ないので近く再訪したい。
参 考:島津家久・豊久父子と日向国(宮崎県立図書館)等

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