南九州の外城の町並み、麓の町並みの記録です。
串木野麓





串木野麓は、串木野城の周囲に形成された麓集落で、藩政時代、串木野城跡に地頭仮屋が置かれました。串木野麓は串木野城跡の周囲の麓4郷(内村郷・麓郷・西之口郷・原郷)からなり、各郷に麓の名残が残ります。現在は区画整理事業が進み、近世の景観は失われつつありますが、麓らしい景観を生かした新しい町並みに変わろうとしています。写真は主に2008年当時の姿です。

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串木野城は曲輪、空堀をもつ山城で、鎌倉時代の薩摩郡地頭、平忠直の子、串木野三郎忠道によって築城されたといわれます。5代にわたり串木野氏が居城しますが、南北朝時代に守護大名島津氏との抗争に敗れ、串木野は島津氏が支配する領地となりました。
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麓の馬場
串木野城跡前の麓(郷)にある馬場。右上は串木野城跡への入口。正面は地頭仮屋跡。

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麓の馬場
麓の馬場から串木野城跡方面をみたところです。左上の住宅地のある高台が地頭仮屋跡。
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地頭仮屋跡付近(2007年)
石垣の上が地頭仮屋跡。地頭仮屋跡の高台は串木野城外曲輪になっており、石垣は明治時代に築かれたとされています。城之元。地頭仮屋跡の隣りに立派な石柱門が見られます。
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旧入来邸武家門(2007年)
諏訪下ん入来どんの屋敷といわれました。武家門の先を進むと南方神社(諏訪神社)。入来家は郷士年寄格。旧入来邸は平成29年にいちき串木野市の文化財に指定されました。

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麓の馬場の町並み
馬場は幅員のある街路が250メートルほど直線的に延びており、街路の左右に石垣が続いています。
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麓の馬場の町並み

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内村の武家門
腕木門。左右に続く石塀も見事です。
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内村の町並み
内村には笠石を載せた見事な石柱門も見られます。

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内村の町並み
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西之口の町並み
最初の串木野郵便局が西之口郷に設置されました。

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西之口の町並み(2007年)
上は区画整理前の西之口馬場。石垣と石塀が見られます。
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西之口の町並み

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西之口の石垣
石垣の上に載っている石材はもとは上水道用途だろうか。

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西之口の町並み
区画整理前。石塀(左上)と野積みの石垣(右上)が見られます。

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西之口の武家屋敷(2007年)
区画整理前。石柱門の左右に古い石塀が続き、屋敷内に立派なイヌマキが見られます。
現在の串木野麓は公園が整備され、また、古い石材を随所に生かして麓らしい景観を残しながら、新しい町並みに変わろうとしています。

訪問日:2008年8月7日(一部2007.12)
備 考:串木野城は島津豊久の誕生地。
参 考:串木野城跡発掘報告書(串木野市教育委員会)、串木野城の城域と構成(上田耕)等。

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