南九州の外城の町並み、麓の町並みの記録です。
郡山麓





郡山麓は、鹿児島市の北部・郡山町にある小さな麓で、藩政時代、郡山城の南麓に地頭仮屋が置かれ、周囲に郷士が居住する麓集落が形成されました。写真は主に2005年当時の麓のようすです。
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藩政時代の郡山郷はいわゆる小郷で、日置郡七郷(串木野・市来・日置・吉利・永吉・郡山・伊集院)の一つ。中世は満家院(みつえのいん)と呼ばれ、長らく比志島氏の治める領地でしたが、島津氏の直轄領となり、その後地頭が置かれました。比志島氏はもとは薩摩国御家人でその後比志島氏の一族である川田氏とともに島津家の家臣となり、薩摩藩の家老を務めます。

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郡山麓の町並み(2005年)
郡山城跡麓の光明寺近くに見事な竹垣が見られます。
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馬場の町並み(2005年)
馬場に面して石垣と生垣、石蔵が残っています。右上は郡山城跡の標柱。
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地頭仮屋跡の石垣(2004年)
背後は郡山城(中世の山城)。往時の石垣は遺されており、県道に面した石垣は鹿児島の鶴丸城の石垣と積み方が同じであると言われています。跡地には旧郡山小学校や旧郡山町役場が置かれました。現在はJA郡山支所と郡山児童センターの敷地となっています。
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郡山麓の武家門(2007年)
区画整理前に建っていた武家門。再訪時(2012年)は見られず。
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郡山麓の町並み(2012年)
左上は馬場(松尾城線)の拡幅のため石蔵を曳き工事しているようす。郡山麓は都市計画に基づく区画整理の中心地区。右上は拡幅工事後のようす。石垣が再びきれいに築かれ、新しい町並みが見られます。
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郡山麓の町並み(2012年)
左上は光明寺。右上は近くの石垣。光明寺付近は往時の遺構が残っている。

訪問日:2005年2月24日(一部2004.10、2007.11、2012.9、2016.11)
史 跡:郡山城跡。川田城跡。川田堂園供養塔群。花尾神社等。
参 考:郡山郷土史等

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