南九州の外城の町並み、麓の町並みの記録です。
谷山麓





谷山麓は、鹿児島市の副都心・谷山の中心市街地にある麓で、旧谷山市一帯は藩政時代に谷山郷と呼ばれ、現在の谷山小学校に地頭仮屋が置かれました。谷山麓には独特な色あいの石塀や石垣が今も残っています。

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谷山麓の石塀と門

中世時代の谷山(谷山郡)は、開発領主である郡司谷山氏が約200年間、谷山城(千輪城)を居城として一帯を治めていましたが、南北朝時代に島津氏と対立して敗れ、島津氏の直轄領となり、地頭が置かれました。

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地頭仮屋跡(谷山小学校)
地頭仮屋が置かれた当時は正面の本門の左右に棟石のある高さ2.1mの石垣(石塀)が築かれたと言われています。地頭仮屋跡の前は仮屋馬場。
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西馬場の町並み
谷山麓は谷山の中心市街地にありながら各地に古い石垣が見られます。
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北麓の石垣
青みのある石垣と石柱門。上の石垣は最近の区画整理(拡幅工事)に伴い後方に移設されました。
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北麓の町並み
こちらは赤みのある石垣が見られます。

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谷山麓の武家門
谷山麓で見られた唯一の武家門です。

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南麓の町並み
昔ながらの狭い小道に沿って赤みがかった独特の古い石垣や石塀が200mにわたり続きます。

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石塀と石柱門
石柱門は頂部に傘石を載せた立派なもの。石柱門の根元に小さな石碑が立っています。赤崎海門生誕地。赤崎海門は谷山郷士で江戸中期の儒学者。薩摩藩の造士館教授、後に江戸の昌平黌(しょうへいこう)教授を務めました。

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南麓地区の町並み
こちらの石柱門も頂部に笠石を載せた立派なものです。

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石塀の町並み
赤みのある石は溶結凝灰岩。火山灰などの噴出物が溶融し圧縮されてできたもの。加工しやすく、石橋や石垣の材料に使用されました。黄色を呈する加治木石や山川石も溶結凝灰岩の一種。

谷山氏について
谷山氏は南北朝時代に他の豪族とともに島津氏と対立します。南朝方に属した谷山隆信は、薩摩入りした後醍醐天皇の皇子・懐良親王を谷山城に迎えて近くの御所原に本陣を構え、北朝・足利幕府方の島津貞久と戦い活躍しました。しかしその後谷山氏は第7代の島津元久に敗れ、城を退去したとされています。

訪問日:2010年6月
史 跡:慈眼寺、谷山城址、征西将軍懐良親王記念碑、波之平刀匠之碑、伝豊臣秀頼の墓
参 考:谷山市誌等

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