南九州の外城の町並み、麓の町並みの記録です。
喜入麓





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藩政時代の喜入郷は肝付氏の私領地であり、領主肝付氏が居館を給黎(きいれ)城から琵琶山(高野山)の南麓に移したことにともない、館の周辺に家臣団の武家屋敷が形成されました。旧給黎城の麓は府本としての機能を失い、旧麓(もとふもと)と呼ばれています。
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仮屋馬場(2007年)

肝付氏は加治木、溝部等の領主でしたが、文禄4年(1595)の秀吉の命令による領主所替により同年加治木から喜入に移り、この時肝付兼三に従った一族郎党は700余人、家中を辞した者や元の領地に居住し他の領主に仕えた者も多かったと言われます。初代兼三から3代兼武までは給黎城の麓を居館としましたが、4代の兼屋が承応2年(1653)に居館を琵琶山(高野山)南麓に移すことを定めて新築造営に着手し、家臣も次々に新しい麓に移転しました。

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領主仮屋跡(喜入小学校)
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仮屋馬場の武家門
腕木門でいずれも両脇に袖屋根が付く。
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2棟の武家門が並ぶ
腕木門であることが分かります(右上)。

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仮屋馬場の町並み
馬場に沿って領主仮屋跡から続く高い石垣が残ります。

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仮屋馬場の町並み
2棟の武家門が向かい合い建っています。
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左上の武家門は残念ながら現在(2019年)撤去されています。

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仮屋馬場の武家屋敷
中央の武家門が左右の石垣と生垣、背後の山の緑と調和した佇まいが実に素晴らしい。

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仮屋馬場の端付近

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領主仮屋跡方向をのぞむ
武家門の前に古い石柱門が建つ。馬場は途中で幅員が狭くなっている。
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小路に残る武家門
仮屋馬場から南北に走る小路に武家門が残ります。脇に石塀が続く。石塀の正面は生垣。

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仮屋馬場入口付近
左右の生垣、背後の山の緑がよく調和しています。
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琵琶山の裾に建つ武家門(2019年)
琵琶山の南麓の近くにひっそりと武家門が残ります。

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仮屋馬場と桜

小松帯刀と喜入
小松帯刀は天保6年(1835)に喜入領主・肝付兼善の三男として鹿児島城下・喜入屋敷で生まれました。幼名を尚五郎。安政3年(1856)、吉利領主・小松清猷の跡目養子となり家督を継承し、吉利領主となる。小松帯刀清廉と改める。

訪問日:2008年7月28日(2009.6、2011.4、2007.8、2019.8)
備 考:喜入麓に見られる武家門は8棟、(2019年時点で7棟)
参 考:喜入町郷土誌等

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