南九州の外城の町並み、麓の町並みの記録です。
指宿麓





指宿麓(いぶすきふもと)は、薩摩半島の南に位置する小さな麓です。整然とした町並みは見られませんが武家門などの遺構が残り、近くに宮ヶ浜の商家群が見られます。

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    指宿麓の町並み(奥の山は松尾城跡)

松尾城は、鎌倉時代から江戸時代初期までの約400年間、山城と海城の性格をもつ城として、指宿の政治の中心でした。薩摩半島を支配した薩摩平氏の流れである頴娃忠永の2男忠光が指宿氏を名乗り、初代指宿地頭となり、居城を築いて松尾城としたと伝えられます。歴代の城主は指宿氏、阿多氏、相州島津氏など幾度も交替し、1615年の一国一城令で廃城となりました。
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松尾城跡への入口
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武家門
屋根はトタンが被せられている(2010年当時)。屋根の長さ、柱の高さ・形などから武家門の遺構と考えられます。
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武家門
松尾城跡の麓に残る武家門(2010年当時)。主屋の損傷は激しいが門の痛みは少ない。

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    松尾城跡と天保の灯台

松尾城は海岸に近く山城と海城の性格を兼ねたと言われます。宮ヶ浜港には藩政時代の遺構として215mにわたる石畳の防波堤と石造り灯台が残ります。天保5年(1834年)、薩摩藩主島津斎興により建造されました。宮ヶ浜港は指宿の豪商・濱崎太平次の貿易拠点ともなりました。
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宮ヶ浜港の防波堤
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外城市付近の町並み
国道226号線の陸側にも生垣や武家門など麓集落の名残が見られます。

指宿_09 藩政時代の指宿郷(外城)は、延享元年(1744年)に今和泉郷の新設に伴い、江戸末期には西方村の一部・東方村・十町村・十二町村の範囲となりました。指宿郷の地頭仮屋は指宿北郵便局と外城市公民館の敷地、さらには指宿小学校一帯にあったと言われています。左は公民館に残る石垣。

宮ヶ浜の商家群
指宿麓の隣り、宮ヶ浜の国道226号線沿いに明治から大正に建てられた古い商家群が残っています。近くの宮ヶ浜港が貿易の拠点として賑わい、多くの商家が建ち並びました。いずれも貴重な文化遺産です。5棟が国の有形文化財に登録。
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中俣家住宅
明治37年。屋根は入母屋造りで正面に横に長い庇がつく。切妻と軒は漆喰塗り。正面の両隅は切石積み。屋根が三段状になる独特の意匠。国の登録有形文化財。
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蜷川菓子店店舗(左)
大正2年。左の店舗兼主屋が国の登録有形文化財。正面は瓦葺の庇があったと考えられます。赤いオーニングが印象的です。右の商家は中俣酒造
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丸十百貨店(左)
明治後期。屋根は切妻造り。漆喰で固めた正面の大きな切妻が印象的。国の登録有形文化財。右は鹿児島銀行宮ヶ浜代理店。商家の軒先を増築したユニークな店舗でした(2014年閉店)。
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福永家住宅(左)、丸十百貨店の蔵(右)
左の商家は宮ヶ浜代理店が軒先を間借りした福永家住宅主屋。右は丸十百貨店の蔵。蔵は国の登録有形文化財。
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須藤農機具店(左)と大山時計店(右)

訪問日:2010年4月2日(2007.10)
備 考:宮ヶ浜まち歩き開催(指宿市観光協会)。指宿麓に見られる武家門は3棟
参 考:指宿まるごと博物館等

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