南九州の外城の町並み、麓の町並みの記録です。
頴娃麓





頴娃麓(えいふもと)は,薩摩半島の南端に位置する麓で,武家屋敷は残りませんが、藩政時代の町割りが残る貴重な麓集落です。

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藩政時代の頴娃郷は,薩摩藩の直轄領で,池田湖の西側,現在の頴娃町と開聞町を含む範囲とされ,地頭仮屋は,現在の頴娃町郡,郡地区公民館に置かれました。

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地頭仮屋跡

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麓の町割り
頴娃麓は南北に延びる複数の街路と東西に延びる複数の街路により計画的に町割りされています。上の街路は玉石垣と屋敷内に見事なイヌマキが見られます。

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玉石垣
頴娃麓の石垣は,切石積はわずかで,ほとんどが玉石垣。
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東西に延びる街路(左上)と南北に延びる街路(右上)

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玉石垣
法面に玉石,出隅に角石をきれいに積んでいることが分かります。奥には2体の仁王像が建っている。廃仏毀釈の跡でしょうか。
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仁王像(左上)と菜の花(右上)

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石柱門と屋敷跡
東西に延びる街路に面して高い石柱門が,低い石垣とともに残っている。

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麓の町並み
新年を迎えるためか,生垣とイヌマキが綺麗に剪定されています。

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麓の町並み
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頴娃小学校前の通り
麓の町割りがよく残っているのは国道の西側(下方限と呼ばれた)。国道の東側(上方限と呼ばれた)にも町割りとともに古い石垣・生垣が残ります。

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頴娃の茶畑
頴娃は日本一の茶の生産地。ゆるやかな台地に茶畑が広がります。茶摘みの時期には赤い茶摘み機が活躍します。

頴娃氏について
中世の頴娃は,伊作平次の子孫・伊作良道から派生した頴娃氏(平姓)の領地でしたが,島津元久に敗れ,元久の死去により弟・久豊が島津家の家督を継ぐと,久豊の養子・肝付兼政が頴娃の領主となって入部し,応永2年(1420年)から伴姓頴娃氏として170年に亘り,頴娃を治めました。伴姓頴娃氏は,頴娃・指宿・山川を領有するまで勢力を伸長しますが,秀吉の島津征伐に伴い,島津氏の領地が縮小されると,8代久音が谷山郷山田に移封されます。

訪問日:2008年12月26日(2011.4)
備 考:近くに藩貿易港で栄えた石垣集落,釜蓋神社あり
参 考:頴娃町郷土史等

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