南九州の外城の町並み、麓の町並みの記録です。
知覧麓





知覧は,薩摩半島の南部中央に位置し,「薩摩の小京都」と呼ばれる小さな町です。江戸時代に作られた武家屋敷庭園がまとまって残っており,昭和56年に武家屋敷群一帯が国の重要伝統的建造物群保存地区に選定されました。知覧麓は薩摩藩の代表的な麓の一つと言えます。

知覧_01

18世紀中期,知覧領主・18代島津久峯の代に,麓川の南に現在の知覧麓の原形となる街並みが作られたと言われています。知覧麓は,南に丘陵地,東に亀甲城,北西に麓川を天然の外堀とする平坦地に,南北に延びる城馬場と東西に延びる本馬場が配置され,領主仮屋を中心に武家屋敷の街並みが作られました。

領主仮屋跡(左)と麓川(右)
領主仮屋跡は現在の検察庁知覧支部。建物は周囲の景観を考慮し日本家屋風に作られています。奥に延びる街路は城馬場通り。

本馬場通りの入口
本馬場通りは入口から約800メートル続く通り。本馬場から亀甲城跡,城馬場・本町馬場の一部を含む18.6haが国の伝統的建造物群保存地区に選定されました。


西郷恵一郎邸
本馬場は母ヶ岳を目標に線が決められ,緩やかに曲げられています。近世の城下町を町割りするとき,主要街路の向きを近くの山に定めて設置する手法を「山当て」と言うようです。街路から見える変化のある生垣が印象的です。

西郷恵一郎邸
腕木門は袖屋根付き。石段を上がると正面に目隠しが配置されます。庭園は枯山水で江戸時代中期の作。街路から見えるイヌマキの生垣は邸内から見ると石組みの背景の連山を表現しているそうです。知覧麓は本馬場通りに面する7つの庭園が国の名勝に指定されています。


平山克己邸付近
石垣の上に手前に低い生垣(茶ノ木,サツキ)と後ろに高い生垣(イヌマキ)を配置し,街路からの視線を遮るとともに大刈り込みが邸内からは築山風に見えます。大刈り込みの高さは4メートルに達する。


腕木門(平山克己邸)
袖屋根付き。左右に石垣と生垣が続く。門をくぐった正面の目隠しにも生垣が配され,通りから邸内への連続性が感じられます。生垣を巧みに取り入れた門構えが美しい。


平山亮一邸付近
正面は本馬場の目標線となる母ヶ岳。母ヶ岳は各庭園の借景に利用されています。馬場の舗装はシラス色に近いグレー系。昭和56年に保存事業が開始され,電線類も建物の裏側に移設されました。5月から6月の時期は特にイヌマキの緑が瑞々しい。

本馬場通りの街並み

石柱門(左)と三叉路(右)
知覧麓には石柱門も見られます。本馬場は見通しのきかない三叉路が途中に複数設けられています。

本馬場の折れ曲り部(左)と折れ曲がり後(右)
上のような馬場の折れ曲がり部は大隅の志布志麓や宮崎の高城麓など各地の麓で見られます。

茅葺民家
南九州に特有のオモテとナカエからなる二つ家民家。知覧町にあった民家を移築したもの。二つ家はもともと別々の建物であったものが次第に合体してできた形式。


佐多民子邸付近
本馬場沿いに美しい生垣が続きます。知覧麓の石垣は切石積みと玉石積みが見られる。本馬場は佐多直忠邸付近で右にゆるかやにカーブする。

佐多民子邸
腕木門は左右に袖塀を備える。門の正面に目隠しの屏風岩が見える。


佐多直忠邸付近
街路は平坦地を掘り割りして作られており,各屋敷の主屋や庭園は街路から一段高い土地に築かれています。出水麓の町割りと同様。


腕木門(佐多直忠邸)
正面の目隠しは武骨な印象を与える。目隠しに生垣を加えるかどうかで表情がかわるようです。訪れた日は憲法記念日。武家門には国旗がよく似合う。

旧高城家住宅(左)と高城庵(右)
旧高城家住宅は二つ家民家。


三叉路付近
本馬場通りは再び見通しのきかない三叉路となる。奥は森重堅邸。


森重堅邸
森重堅邸は池泉庭園。

知覧特攻基地について
知覧は特攻の町としても有名です。知覧飛行場から大戦末期に多くの若者が飛び立ちました。知覧特攻平和会館には多くの遺品が展示されています。

訪問日:2009年6月20日(2008.8、2010.2)
備 考:武家屋敷群近くに大きな駐車場あり
参 考:

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