南九州の外城の町並み、麓の町並みの記録です。
坊泊





秋目は,坊津・秋目浦の湾奥に細長く形成された小さな集落で,歴史上,唐の僧侶・鑑真の上陸地として知られます。藩政時代,秋目にも坊津の外城の一つが置かれました。久志秋目郷になる以前に秋目に置かれたであろう地頭館の所在地は不明ですが,秋目の集落内に武家集落らしい麓の面影がみられます。

秋目_01
秋目の町並み

秋目集落に入るには,リアス式海岸沿いの国道226号線と,旧大浦町から秋目峠を超えて入る県道271号(秋目上津貫線)がある。秋目峠を越えて県道271号をS字に下ると集落の入口に立派な屋敷跡が見られます。
秋目_02
漢方医・坂本家跡
玄関までの長い階段と立派な石柱門。秋目には,歴史を伝えるものとして坂本家の碑以外に伊能忠敬が宿泊した宮内家,寺子屋唐通事の丸野家跡,漢方医の野口家跡の碑が設置されている。
秋目_03
県道沿いの石垣(左)と持明夫人行館跡(右)
秋目集落内は石垣が多く見られる。行館跡は,じめさあ(持明院様)(*)と呼ばれた持明夫人が秋目に滞在した館の跡。

秋目_04
宮内家の武家門
坊津の外城に残る宮内家の武家門は小ぶりながらも貴重。宮内家は文化8年(1810)の第7次測量で薩摩藩に入った伊能忠敬が坊津を廻る際に宿泊した。
秋目_05
宮内家

秋目_06
秋目の町並み
宮内家の石垣脇を下って曲がると石垣が続く。武家門形式の構造かは不明だが屋根付き門も見られる。武家集落らしい麓の形態がよく残っています。

秋目_07
秋目の町並み
切石を含む見事な石垣が見られる。石垣の上は生垣。

秋目_08
秋目の町並み
上の通り。切石積みの古い石垣が見られる。

秋目_09
秋目の古民家
秋目_20
古民家(左)と秋目のメインストリート(右)
秋目_10
石垣群
笠沙町・大当でみられる野積みの石垣群が秋目にも見られます。

秋目_11
九玉神社
秋目診療所の脇に九玉神社が建つ。鳥居は石造り。

秋目_12
秋目小学校創立の碑
秋目_13
正法寺(左)と大アコウ(右)
正法寺は古い門が建ち,境内に古い五輪塔が残る。大アコウは地元の方によると別名「しめ殺しの木」と呼ばれている。
秋目_14
秋目の町並み
坂道が多く,立派な石段が見られる。

秋目_15
秋目の町並み
中腹の道路は県道271号(秋目上津貫線)。
秋目_16
がんじん荘(左)と秋目漁港(右)
鑑真記念館の古い記事によると,鑑真記念館ができる前から「がんじん荘」の名で営業してきたとのこと。

秋目_17
鑑真記念館から見た秋目浦
秋目_18
鑑真記念館(左)と鑑真和上上陸地の碑(右)
鑑真記念館は秋目浦を見下ろす高台に平成4年に建立。

秋目_19 日本が舞台の007シリーズ第5作。1967年公開。日本各地でロケが敢行された。秋目を訪れたのは主演のショーンコネリー・丹波哲郎・浜美枝など。映画はオリエンタルな日本の魅力にあふれ,映像が見事。鹿児島のロケ地は,坊津(秋目)・霧島(新燃岳・韓国岳)・鹿児島市内。霧島連山の空撮,島津重富荘・与次郎浜・鹿児島市内のしっくい屋根の家並みなど当時の貴重な映像が見られる。
映画「007は二度死ぬ」のロケ記念碑

じめさあ(持明院様)について
島津義久の三女(亀寿姫)で,島津氏が秀吉に降伏すると上洛して人質生活を送った。帰国後は義弘の次男・久保の正室,久保死去後は弟・忠恒(薩摩藩初代藩主)の正室となったが,忠恒とは子に恵まれず不仲であったとされる。波乱の生涯を送ったと言えますが,鹿児島では親しみを込めて「じめさあ」と呼ばれる。命日になると石像に化粧直しされる。

鑑真和上について
唐の高僧。日本から唐に渡った僧・栄叡らの懇請により自ら渡日を決意する。最初の渡海の試みは743年。6回目の渡海で屋久島に到着。屋久島を出港して遭難にあうが秋目に上陸(漂着)した。その後,太宰府を経由し奈良の都に到着。東大寺にしばらく過ごし,唐招提寺を創建する。日本に仏教の戒律を伝えた。

訪問日:2014年6月24日
参 考:坊津町郷土誌等

|戻る| |ホーム|

Copyright (C) 2019-2020 Tojoh Archives. All Rights Reserved.