南九州の外城の町並み、麓の町並みの記録です。
加世田





加世田は,南薩地域の政治経済の中心地区です。藩政時代は野間半島一帯を含め広く加世田郷と呼ばれました。加世田郷の上級郷士が暮らした麓地区は,多くの武家屋敷や腕木門などが現存し,令和元年に鹿児島県内で4番目の重要伝統的建造物群保存地区に選定されました。

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加世田麓は,加世田川の西側,丘陵の別府城を囲むように形成された武家地と,西側丘陵の新城との間の平坦地に南北に細長く形成された武家地を含み,旧街道の脇を益山用水路が延び,益山用水路に沿って腕木門を構えた多くの武家屋敷が並んでいます。
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下ん仮屋(左)と地頭仮屋跡(右)
武田の中鴻巣地区。地頭仮屋は別府城近くの平坦地に設けられ,立派な石柱門が残っている
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上鴻巣地区の武家門

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上鴻巣地区の町並み
旧街道沿いに生垣と石垣が続く。街道脇の益山用水路に武家門へのアプローチとなる石橋が架かっています。
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別府城入口(左)と益山用水路(右)
別府城は,平安末期に荘園の役人として加世田入りした伊作良道の子・別府五郎忠明(川辺一族)によって築城され,加世田開発の拠点となりました。以後,加世田は島津氏に降るまでの230年,別府氏が支配しました。

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鰺坂家屋敷跡
石橋からつづく立派な武家門を構えています。
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上鴻巣地区の武家門
左は旧鰺坂正一郎邸。旧街道沿いに多くの腕木門が現存する。

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上鴻巣地区の武家門と石橋
益山用水路に架かる石橋は知覧麓に見られない加世田麓独特の景観要素です。
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六地蔵塔(左)と仁王像(右)
六地蔵塔は別府城を攻略した島津忠良が敵味方の戦死者を供養するため作らせたもの。島津忠良は別府城を居城として隠居し,麓を整備します。仁王像は忠良を祀る日新寺の大門から明治の廃仏毀釈時に麓へ移されたもの。

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上鴻巣地区の武家門と石橋
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旧鰺坂医院(左)
旧鰺坂医院は国登録有形文化財。洋風医院建築。
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鮫島博家武家門
中鴻巣地区。地頭仮屋跡前に建つ。鮫島博家住宅は国の登録有形文化財。
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上ん仮屋(左)
上鴻巣地区。上ん仮屋と呼ばれた鮫島家住宅は珍しい長屋門が建つ。国の登録有形文化財。
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加世田はいぬまきの町である

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竹田神社
島津氏中興の祖・島津忠良を祀る
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いにしえの道(左)
古いイヌマキの並木が続く。中央は日清・日露戦勝記念碑。右は島津家家紋のある石倉。
いにしえの道には忠良が作った「日新公いろは歌」47首の歌詞が並んでいるそうです。
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社付地区に残る武家門
竹田神社の門前町。草木に埋もれそうです

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犬追馬場の町並み
犬追馬場は別府城の大手口にあたる。地頭仮屋が置かれる前はこちらが別府城への表口で,多くの武家屋敷が建ち並んでいました。現在も別府城を囲むように石垣や生垣が見られます。
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犬追馬場の町並み
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犬追馬場の石柱門と武家門
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向江地区の町並み(2007年)
向江地区にも石垣や生垣が見られます。

加世田と島津忠良について
加世田は室町時代に別府氏から島津氏の支配下に入り,薩州家・島津実久と忠良・貴久親子の対立を経て,忠良が加世田・別府城を攻め落とします。忠良は別府城に隠居した後も実権を握り続け,島津氏の対明貿易や家臣団の育成に励み,島津氏発展の基礎を作りました。忠良は77歳で逝去し,忠良の墓は竹田神社の境内にあります。

訪問日:2009年8月13日(一部2007年)
備 考:別府神社/万世平和祈念館(旧万世飛行場)/万世・小湊(郷士集落)/加世田鍛冶・加世田鎌
参 考:鹿児島県HP/戦国島津氏について等

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