南九州の外城の町並み、麓の町並みの記録です。
国分





国分は,島津義久が晩年を過ごしたゆかりの地で,国分平野の奥に舞鶴城が築かれ,島津義久によって近くに碁盤の目状の町並みが作られました。国分麓は,舞鶴城から延びる馬場や小路に古い石垣や生垣,武家門など麓らしい遺構が良く残っています。

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舞鶴城(国分小学校)

慶長9年(1604)に富隈城から島津義久が舞鶴城の館に移り住むと,義久の家臣も国分に移り,舞鶴城の南から西にかけ麓が形成されました。義久は晩年まで舞鶴城の館で過ごし,慶長16年(1611)に義久が死去すると,後に国分は藩の直轄領となり,館の隣り(国分高校)に地頭仮屋が置かれました。
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舞鶴城の石橋(左)と朱門(右)

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舞鶴城の朱門(2008年)
朱門は舞鶴城の内陣にあったものを重久麓の細山田家の祖先が領主義久から拝領したと伝えられ,細山田家から大隅国分寺跡に移築保存された後,舞鶴城に復元されました。
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国分麓の想像図(左)

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舞鶴城の石垣(2008年)
野面積みの石垣と堀が残ります。
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犬追馬場
館前の犬追馬場沿いに舞鶴城一帯の整備が進められました。

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国分高等高校
地頭仮屋跡。塀が武家屋敷風に作り替えられました。
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大隅国分寺跡と付近の町並み(中央1丁目)
舞鶴城跡近く。国分寺は奈良時代に聖武天皇により国家鎮護を目的に各国に建立された。薩摩国分寺跡は薩摩川内市。

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東馬場の町並み(中央2丁目)
東馬場は犬追馬場から南に延びる街路。街路沿いに石垣や生垣,武家門が残り,麓らしい雰囲気を最も味わえる通りです。

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東馬場の武家門(中央2丁目)
腕木門。左右に小屋根が付く。観音扉。背後の山は城山公園(隼人城址)。中世の隼人城は本多氏の居城で,舞鶴城の館に義久が移り住んだ後は後詰めの城として機能した。

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石柱門(中央2丁目)
門の奥に石塀が備わる。
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石塀と石垣の町並み(中央1〜2丁目)
国分市街地の中心地区に古い石塀と石垣が残ります。

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中之馬場の町並み(中央3丁目)

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武家門(中央4丁目)
腕木門。門の脇に見事な生垣が続く。

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武家門(中央4丁目)
腕木門。石塀の袖。

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武家門(中央4丁目)
腕木門。引戸。石垣が左右に続く。

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生垣の町並み(中央1丁目)
商店街を一歩入るとJR国分駅近くに竹垣や生垣が続く町並みが残ります。
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石塀の町並み(中央4丁目)

国分たばこについて
鹿児島おはら節に「花は霧島,たばこは国分」と謳われた国分たばこは,慶長11年(1606),義久の家臣・服部宗重が国分郷向花でたばこの試作栽培に成功したことに始まり,江戸中期には全国に紹介され,味と香りのよい高級葉として江戸や大阪で人気を集めました。全国に名を知られた国分たばこですが,昭和に入ると需要が減少し,現在は葉たばこ農家により外来種が栽培されています。

訪 問:2009年3月23日(2008.10.14、2008.4.7)
参 考:国分郷土史/たばこと塩の博物館他

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