南九州の外城の町並み、麓の町並みの記録です。
清水





重久麓は,国分平野の奥,襲山郷(そのやまごう:旧東襲山村)の中心に形成された麓です。地頭仮屋は旧東襲山小学校に位置し,重久の東襲山地区内に武家門や石垣など麓集落の遺構が残ります。
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重久麓の町並み(2008年)

襲山郷(外城)は,江戸期は曽於郡(郷)と呼ばれ,明治に入ると東襲山郷と西襲山郷(日当山)に分かれ,東襲山郷はそのまま東襲山村(1次)となりました。昭和に入ると,東襲山村は霧島山が日本初の国立公園に指定されたことをきっかけに霧島村に改称されますが,その後霧島村から重久の一部が分立して東襲山村(2次)となり,東襲山村は清水村とともに国分市に合併され,現在の霧島市国分重久に至ります。
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重久麓の屋敷と武家門(2008年)
重久麓の中心に広い屋敷と立派な武家門が見られます。右上の門の築年は不明ですが,反り屋根に観音扉付きの立派な門です。
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重久麓の武家門と石塀(2008年)
右上の石塀は頂部に笠石が載り,下の石塀と同じような構造をしています。
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重久麓の石塀と武家門(2008年)
地頭仮屋跡付近の立派な石塀。上の武家門は腕木門。左右に小屋根と袖壁を備えた立派なもの。
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重久麓の町並み(2008年)
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重久麓の町並み(2008年)

訪 問:2008年4月7日(2007.10.14)
備 考:撮影はFine Pix F401(デジカメ)。再訪予定
参 考:国分郷土史他

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