南九州の外城の町並み、麓の町並みの記録です。
敷根





敷根は,国分平野の東端に位置し,国分から福山へ向かう薩摩街道高岡筋(日州街道)に麓集落が置かれました。敷根麓は,国道220号線沿いや国道から入った馬場に往時の遺構が良く残っています。

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敷根麓の町並み(2008年)

敷根郷(外城)は,薩摩藩の直轄領(地頭所)で,国分郷と福山郷の中間に位置し,地頭仮屋は敷根村に置かれました。敷根郷は3か村(敷根村・上之段村・湊村)からなります。敷根村は明治期に麓村と浜町に分割されましたが,その後の国分町への編入に伴い大字敷根となり,国分市敷根から現在の国分敷根に至ります。
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国道沿いの武家門(2008年)
敷根を通る国道220号沿いに武家門が見られます。

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敷根麓の武家門
敷根地区を通る国道220号は薩摩街道高岡筋と重なる。上の武家門は腕木門。後方に控え柱が見えます
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国道220号沿いの石柱門
国道220号沿いに石柱門も見られます。背後の山は上野原台地

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敷根麓の武家門(2007年)
国道220号から山側に入ったところ。敷根麓の武家門は黒塗り門が多い。シロアリ対策か。背後に支え柱が見えます。
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敷根麓の馬場
敷根麓の中を東西に走る馬場沿いに水路,石橋,石垣,生垣が見られます。

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敷根麓の武家屋敷
水路,石橋,武家門,石垣,生垣,白壁の蔵,非常に絵になる屋敷です。

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敷根麓の武家門
左右に小屋根と袖が付く立派な門。奥に目隠しが見えます。
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馬場の町並み
水路沿いに石垣,竹垣が続き,雰囲気のよい街路です。

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敷根麓の武家門
門の前に水路,門の両側に竹垣が続く。
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敷根麓の町並み
二段積みの低い石垣と生垣が続きます。
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敷根麓の町並み
国道220号線から海側に入ったところ。こちらにも石柱門や石垣などの遺構が見られます。

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敷根麓の武家門
敷根海岸近くに残る武家門。腕木門。敷根海岸近くにもう一棟武家門が残っているようです。
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敷根麓の町並み
訪問時は田んぼの稲の収穫前。稲が黄金色に輝いていました。

敷根火薬製造所について
薩英戦争が勃発した1863年,薩摩藩によって敷根の奥に大規模な火薬製造所が作られました。近くの高橋川から水を引き込み,水車の動力で火薬を生産しました。廃藩置県により,製造所は明治政府に移管され,明治5年には年間製造量24トン,明治9年には年間41トンに増産されたが,明治10年に西南戦争が勃発すると,海軍が上陸して火薬製造所は焼き払われました。敷根火薬製造所で生産された火薬は薩摩藩が明治維新を牽引する原動力となりました。敷根奥の高台にあった製造所跡は田んぼが広がり、当時の遺構がわずかに残っているようです。

訪 問:2008年10月14日(2007.10.23)
備 考:2008年撮影はEOS Kiss X2、2007年撮影はFine Pix F401(デジカメ)
参 考:国分郷土史/かごしま近代化遺産調査事業報告書他

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