南九州に残る外城の町並み、麓の町並みの記録です。
山野





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山野麓の武家門

藩政時代の山野郷は藩の直轄領で,山野城の麓に郷士が集住する麓集落が形成されました。明治22年に山野町となり,昭和29年に山野町は大口市の一部(現在は伊佐市の一部)となりました。山野麓は山野城跡の麓に武家門や馬場、石垣などの遺構が残ります。

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上之馬場

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山野麓の町並み
仮屋跡前から東西に延びる馬場。水路に沿って玉石垣や生け垣が続く。

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山野麓の武家門
水路に石橋が架かり,石橋の正面に武家門を構える。左右に切石積みと玉石積みの石垣が続く。

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山野麓の武家門
腕木門。左右に小屋根と袖を備える。

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山野麓の町並み

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山野麓の玉石垣

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上之馬場の町並み
ひっそりと武家門が残るのがいかにも麓らしい。

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上之馬場の武家門
腕木門。左右に小屋根と袖壁がつく立派な門です。開き戸付き。

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上之馬場の町並み
左の塀は玉石垣の上に白壁。麓では珍しい。右の塀は切石積みの頂部に笠石。大口市郷土誌によると上之馬場の正面の突き当たりが仮屋跡。

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山野小学校
明治5年に上之馬場の仮屋敷(地頭仮屋のことか)に第84郷校として設立され,明治20年に仮屋敷から現在地に移転されました(山野小HP)。

山野麓は小規模の麓ですが,風格ある武家門など, 集落の中に麓らしい遺構がしっかりと残っています。

訪 問:2014年6月11日
備 考:山野麓に残る武家門は2棟/山野城跡/上之馬場/池馬場/下之馬場/旧山野駅
参 考:大口市郷土誌

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