南九州に残る外城の町並み、麓の町並みの記録です。
財部





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財部城は,別名・龍虎城と呼ばれ,鎌倉時代に財部六郎正信により築城されました。 藩政時代前の財部城は,都城を本城とする庄内十二外城の一つで,伊集院忠真による庄内の乱(1599-1600)が起きた際は、忠真の甥・伊集院甚吉が城を守り,島津軍と戦いました。 甚吉が守る財部城は,島津勢の攻撃にも落城せず,徳川家康の命でようやく降伏します。 財部(たからべ)は,都城と地理的に近く,現在も都城と経済的な結び付きが強い町です。

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財部城大手口近くの武家門(2008年)
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財部城大手口近くの武家門(2008年)
財部城の大手口から東西に馬場がまっすぐ延び,2008年当時ですが,馬場沿いに武家門が建っていました。財部町郷土史に登場する米良家の郷士門と考えられます。 小屋根と袖壁付き。2011年の再訪時には残念ながら撤去されていた。
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財部麓・南俣の町並み
財部城の大手口前の馬場から南北に馬場が延びる。
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南俣地区の馬乗馬場

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南俣地区の元町馬場
元町馬場は馬乗馬場と直角に東西に延びる。石垣や竹垣が見られます。
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地頭仮屋跡(左)と北俣地区の町並み
地頭仮屋跡は財部小学校敷地。財部小学校の脇を下る北俣地区に素晴らしい風景が残っています。

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北俣地区に残る武家門と竹垣
印象的な朱色の屋根の武家門。奥に竹垣が見えます。

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北俣地区の武家門

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北俣地区の町並み
石垣の上の竹垣が美しい。

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竹垣の続く町並み
非舗装の小路に沿って見事な竹垣が続く。北俣地区は隠れ里の雰囲気がある。

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北俣地区に残る武家門
腕木門。小屋根に袖壁付き。左右に延びる竹垣が見事。

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竹垣の続く町並み
奥に朱色の武家門も見えます。
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北俣地区の町並み
武家門の邸内は古民家レストラン古里庵。黒塀が残っています。

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武家門の邸内

財部麓は,財部城の大手口から東西に馬場が延び,また,南北にも複数の馬場が延びており,計画的に整備されたことがうかがえます。 麓の中心は南俣地区ですが、往時の麓らしい風景は北俣地区によく残っています。

訪 問:2008年4月30日(一部:2008.2,2011.11)
備 考:財部麓で確認できた武家門は3棟あったが,1棟はその後撤去された。財部麓は,麓巡りを本格的に行うきっかけとなった思い出の深い麓集落。
参 考:財部町郷土史

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