南九州に残る外城の町並み、麓の町並みの記録です。
末吉





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地頭仮屋の門(2011年)

末吉は,大隅半島の北部に位置する町で,島津氏の分家である北ク氏が都城盆地一帯を支配した時代に,都城盆地を守る庄内十二外城の一つとして,財部城と並び,末吉城が置かれました。領主が伊集院氏に代わった後に起きた庄内の乱(1599-1600)では,島津勢の攻撃に対し、忠真の弟・伊集院小伝次が城を固く守り,和睦によってようやく開城しました。庄内の乱後の末吉は薩摩藩の直轄領となり,末吉郷が建設され,地頭仮屋の周囲に麓や野町が形成されました。

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地頭仮屋跡の碑(左)と付近の町並み(右)
地頭仮屋は最初末吉城内(諏訪方)に設けられたが,城の麓に移転され,宝暦5年(1755)に現在の末吉中学校(二之方)の場所に再移転されました。地頭仮屋の前方には郷士の調練場である仮屋馬場が作られました。
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付近の町並み(二之方)
区画整理がなされていますが,石垣や見事な生け垣が見られます。
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付近の町並み(二之方)
石柱門(右上)も見られます。

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地頭仮屋の門
腕木門。観音扉。潜戸付き。地頭仮屋の門は,明治に入り初代村長宅の門となり,その後医師宅に移され, 現在の井上医院跡(右下)に移築されました。
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付近の町並み(二之方)
訪問時(2011)は霧島・新燃岳からの降灰が末吉町にも積もっていた。

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春の様子(2008.4)
春は地頭仮屋の門の樹木が青々と茂るようです。
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南城跡と付近の町並み(諏訪方)
南城は末吉城の曲輪の一つ。藩政時代初期に末吉城から地頭仮屋がこの近く(保育園付近)に移ったと言われる。
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末吉鉄道記念館
都城駅と志布志駅を結ぶ国鉄志布志線の旧末吉駅。昭和62年廃止。鉄道記念館には廃止当時の運賃表と時刻表が残っている。 運賃を見ると西鹿児島駅(現在の鹿児島中央駅)まで1850円。東京都区内まで15100円と表示されている。

訪 問:2011年1月28日(一部:2008.4.30)
備 考:地頭仮屋の門が残る麓は,出水・山崎・蒲生・末吉の4箇所。
参 考:曽於市HP

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