南九州に残る外城の町並み、麓の町並みの記録です。
岩川





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岩川麓の町並み(2011年)

岩川は,明治になる以前,島津家家臣・伊勢家の私領でした。初代の伊勢貞昌は,もとは有川氏で,島津義弘に仕え,北部九州への侵攻や朝鮮出兵に参加し,また,庄内の乱や関ヶ原の戦い後の伊東氏の乱入に対し功をあげ,以後島津家の筆頭家老となりました。貞昌は岩川の五十町村を与えられ,嫡子の死により家久の子・貞昭を養子にむかえると,中之内村が加増されます。岩川は幕末まで伊勢家の私領として存続しますが,その間末吉郷の支配下にも置かれました。
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岩川小学校(仮屋跡)

岩川郷が末吉郷から分離独立したのは明治2年。それまで伊勢家の家臣は末吉郷の郷士から一段低く見られており,岩川郷の新設は悲願であったと言われます。岩川郷の創設には,伊勢家の家臣(私領五番隊)による戊辰の役での功績が大きく寄与し,岩川郷の新設が決まると,鹿児島・谷山等の伊勢家の私領地から家臣が岩川に移住し,仮屋を中心とした麓が建設されました。麓の建設については旧大隅町誌に詳しい。

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岩川麓の武家門
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岩川麓の町並み

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岩川八幡神社
万寿2年(1025)に石清水八幡宮より岩崎氏が勧請し,現在の場所とは別の中之内に創建したと伝えられます。その後戦火に遭いましたが,肝付氏により再興されました。岩川郷の新設により郷社となり,現在の岩川城址に遷座しました。秋に県下三大祭りの一つ,弥五郎どん祭りが行われる。 岩川_
岩川麓の町並み

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弥五郎伝説の里(公園)からの眺め
手前の建物は曽於市大隅支所。奥の茶色い建物は大隅税務署。
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弥五郎どん
弥五郎どんは,九州南部に伝わる巨人伝説。朝廷に対する隼人の反乱(740)が起きたときの隼人族の首領がモデルとされる。朝廷側の武内宿禰がモデルであるとする説もある。毎年11月3〜5日の3日間、身の丈一丈六尺(4m85cm)の大男のなりで岩川の町中を練り歩く浜下りが行われる。三国名勝図会にも記述が有り,藩政時代から大きさや姿が変わっていない。この時期,都城市山之口(的野正八幡),日南市飫肥(田ノ上八幡)でも弥五郎どん祭りが行われる。

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大隅町の朝靄

岩川官軍墓地について
西南戦争時の戦没者を埋葬する官軍墓地が岩川にある。近くに薩軍の墓がひっそりとある。

訪 問:2011年1月28日(一部:2008.4.30)
備 考:仮屋跡から少し離れた中園地区に十文字の広い馬場(馬乗馬場)が残る。
参 考:旧大隅町誌(曽於市HP)

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