南九州に残る外城の町並み、麓の町並みの記録です。
松山





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新橋の洋館(2009年)

大隅の松山郷は薩摩藩の直轄領で,山城の松山城近くに麓が形成されました。
旧松山町郷土史には『松尾城の周囲に郷士が住み、麓を形成していた。中でも野久尾に郷士が多く住み、馬場にも住んでいた。秦野は城山とは距離があるがここにも郷士が数多く居住していた。その数はむしろ新橋よりも多かったと言われる。新橋と秦野は島津藩直轄の郷士であるが、この外に尾野見、黒石方面に新納家の家来、大野原方面に伊勢家の家来が居住していた。松山郷の地頭仮屋は現在の農協にあった。』と書かれています(S44.10発行)。
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馬場の庚申塔
制作時期は不明。明治初めの廃仏毀釈のとき川に捨てられていたものを拾い上げてこの場所にまつったという。

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新橋の武家門(2008年)
腕木門。小屋根に観音扉付き。堂々たる構えの門です。

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新橋の馬場(2008年)
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新橋の町並み
街路の両脇に石垣と生垣が続く。
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新橋の小路
刈り込まれた見事な生垣が見られます。

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新橋の武家門
腕木門。小屋根と袖壁付き。ひっそりと佇む姿が麓らしい。
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新緑が残る時期の小路(2009年)

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新橋の町並み
切石積みの石垣と剪定された生垣の組み合わせが見事。

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新橋の町並み
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松山城址
旧松山町役場の背後の丘陵に位置する。二ノ丸址。現在は城山総合公園。
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旧国鉄松山駅
都城市の西都城駅から志布志駅まで結ぶ旧国鉄志布志線の途中に松山駅があった。

平成元年から、毎年秋に「大隅の國やっちく松山藩−秋の陣祭り」が開催されます。やっちくとは地元特産の野菜と畜産、それにやる気(鹿児島の方言でやっつける、やろう、やりとげる)をかけたもの。

訪 問:2009年5月21日(一部:2008.9)
備 考:松山町新橋に残る武家門は2棟。松山城址
参 考:松山町郷土史(S44.10発行)

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