南九州に残る外城の町並み、麓の町並みの記録です。
松山





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大崎麓の武家門(2011年)

大崎は,くにの松原と呼ばれる白砂青松の海岸が湾に広がり,志布志とともに,救仁(くに)と呼ばれました。藩政時代は,大崎城のすぐ近くに地頭仮屋が置かれ,馬場・城内を中心に麓集落が形成されました。大崎城は,天正5年(1577),島津氏の武将・比志島氏が初代地頭となり,馬場・城内の高台に築城しました。比志島地頭時代の仮屋は大崎城の北側にあったと言われています。

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大崎小学校(左)と三文字商店街(右)
藩政時代の地頭仮屋は大崎小学校の敷地北側にありました。

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城内地区
城内は大崎小学校の南側高台。麓の遺構として石垣・竹垣・イヌマキが見られます。

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武家門(三文字地区)
三文字地区は低地にある商業地ですが,郵便局近くに武家門が残っています。腕木門。左右に袖壁を備える。

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大崎麓の町並み
都萬神社近くの地区に麓らしい風景が残っています。

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武家門
腕木門。左右に袖壁と後方に控え柱を備える。加世田麓の武家門によく似ている。

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都萬神社
都萬神社は日向の5郡(臼杵・児湯・那珂・宮崎・諸県)に1社ずつ建立された「都萬五社大明神」の一つ。創建は不明。現在の社殿は大正5年に再建されたもの。社殿は平成21年に国の登録有形文化財に指定。国道を横断して宮の馬場集落に参道が延び,参道の両側に石垣が残っている。

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武家門(上町地区)
上町地区は,かつて野町があったところで,明治になると商業地として栄えました。

旧大崎城と肝付氏
旧大崎城は,大崎町の天子ヶ丘集落あたりにあり,高山城主・肝付兼忠の四男・兼光が本家を飛び出して島津氏の配下となり,築城しました。兼光を初代とする肝付氏(庶流)は,島津氏の家臣として,大崎,溝部、加治木と所領を転々とし,太閤検地の国替えで,喜入領主となります。肝付尚五郎を生んだ喜入肝付氏のルーツは旧大崎城に遡ります。


訪 問:2011年4月22日(一部2010.6.30,2008.11)
備 考:大崎麓に残る武家門は3棟。横瀬古墳。大型の前方後円墳。
参 考:公報おおさき「歴史を歩く」1,13,15,47〜51/鹿児島県神社庁サイト等

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