南九州に残る外城の町並み、麓の町並みの記録です。
串良





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串良郷の地頭仮屋跡

藩政時代の串良郷は,大隅の志布志・根占と並び大郷であり,1万8千石以上を産出する豊かな穀倉地帯でした。串良郷の地頭仮屋は串良城の裾に置かれ,串良麓は現在の串良総合支所(旧役場)から串良小学校あたりを中心に郷士屋敷が広がっていたと考えられます。笠野原台地の開発の中心を担ったのは串良郷の郷士たちでした。串良郷は明治に入ると西串良村と東串良村に分村され,西串良村はその後串良町となり,鹿屋市と合併します。東串良村は東串良町として存続します。
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串良小学校
麓にある小学校らしく,武家門風の大きく立派な門が建っています。

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串良麓の町並み
岡崎郵便局近く。県道沿いに背の高い生垣が続き,武家門が建つ。

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串良麓の武家門
腕木門。左右に袖壁を備える。

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串良麓の町並み
上の生垣から県道沿いにしばらく進むと切石積みの石垣が続く。
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串良麓の武家門
腕木門。左右に袖壁を備える。背の高い石垣は意匠が施されている。

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串良麓の石柱門
串良麓にはいくつか石柱門が見られる。

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串良麓の町並み
県道から一歩入った街路に藩政時代にタイムスリップしたような風景が残っている。街路に沿って続く切石積みの低い石垣,石垣の上に水平にまっすぐ延びる生垣,生垣の間に見える武家門,邸内にそびえる樹木。絵になる風景です。

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串良麓の武家門
腕木門。左右に袖壁を備える。
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串良麓の石柱門(2005年)

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串良麓の町並み
石垣と生垣が続く町並みが見事です。

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串良麓の武家門
小高い山の間にひっそりと残っています。
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串良麓の石柱門(左)と仁王像(右)
古い屋敷跡に笠石を載せた立派な石柱門が残っていました。

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串良麓の武家門
こちらの武家門は比較的新しく作られたように見えます。

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串良麓の風景(2005年)
串良麓は鹿児島県内の麓に興味をもった初期の2005年,大隅半島をドライブしたとき初めて訪れた場所です。生垣がつくる見事な水平線が印象に残っています。

甑島郷士と串良移住
天明の大飢饉は薩摩藩内にも及び,中でも甑島では度重なる自然災害と飢饉で厳しい生活が強いられ,藩への嘆願により,甑島・手打の郷士四十八家が串良の有里富ヶ尾に移住しました。移住者たちは原野を開墾し,串良郷士として定住を果たしました。富ヶ尾に移住記念碑が残っています。

訪 問:2008年8月19日(一部2005.3, 2008.10)
備 考:串良麓に残る武家門は5棟/富ヶ尾移住記念碑 
参 考:串良郷土誌(S48年発行他)

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