鹿児島県と宮崎県に残る旧薩摩藩領内の外城と麓の町並み記録です。
高隈





鹿屋市は大隅半島の行政・経済・産業の中心です。藩政時代の鹿屋郷は島津氏の直轄領で,鹿屋郷の麓集落は鹿屋城(城山)の麓一帯に形成されました。現在の古前城町と打馬に麓集落の町並みが残っています。

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鹿屋市街地(正面が地頭仮屋跡、左の高台が古前城町)

鹿屋市街地の中央を肝属川が南北に流れており,西の高台に鹿屋城(山城)が位置し,地頭仮屋は東の低地(旧市役所跡)に置かれました。地頭仮屋跡の遺構は残っていませんが,近くの高台の古前城町を歩くと背の高い石垣や武家門,石柱門などが見られます。鹿屋市史によると「南北に幅6mに及ぶ馬場が通じている。これが緑樹におおわれた昔屋敷の続く古前城馬場である。」と書かれています(昭和42年発行)。その昔は広大な屋敷が並んでいたと考えられます。

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古前城町の町並み(2008年)

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古前城町の石垣
古前城町を歩くと高い石垣が見られる(上下)。石垣は赤みがかった凝灰岩からなります。

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古前城町の石垣

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古前城町の武家門
腕木門。主屋根の左右に小屋根と袖壁の上に屋根が付く立派な門です。

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古前城町の武家門

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古前城町の町並み

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古前城町の石柱門と石垣

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古前城町の武家門
腕木門。こちらの門も主屋根の左右に小屋根と袖壁の上に屋根が付く。

高台にある古前城町から,もう一つの麓集落である打馬に移動しました。打馬(うつま)は鹿屋城址(城山)の北東麓に位置し,武家門とともに生垣の続く町並みが残っています。

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打馬に残る武家門
腕木門。左右の小屋根と袖壁に屋根がつく。

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打馬に残る武家門
腕木門

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打馬の町並み
低い石垣に生垣が続いています。

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打馬の町並み
打馬は古前城町に比べると高い石垣がなく,いかつい印象がありません。きれいに剪定された生垣が続きます。

大隅半島を巡る抗争で肝付氏が島津氏に敗れると,島津氏の家臣・伊集院忠棟が鹿屋城に入城し(1580年),城下を整備しました。忠棟が庄内に移ると(1595年),垂水島津家2代久信が清水から鹿屋城に移り(1597年),鹿屋を統治します。久信の隠居(1616年)後、しばらくして鹿屋郷は島津氏の直轄領となります。


訪 問:2008年6月17日(一部2008.8,2022.3)
備 考:鹿屋麓に残る武家門は4棟。
参 考:鹿屋市史他

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