鹿児島県と宮崎県に残る旧薩摩藩領内の外城と麓の町並み記録です。
大根占





大根占は大隅半島・佐多街道を南下した所にある町で,田代とともに現在の錦江町の一部にあたります。藩政時代の大根占郷は島津氏の直轄領で,地頭仮屋は馬場村に置かれました。現在も馬場の地名が残り,武家門や古い石垣など,多くの麓の遺構が残っています。

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大根占麓の武家門

旧大根占町は中世に禰寝院北俣と呼ばれ,南北朝期に南俣を本拠とする大隅の豪族・禰寝氏の支配下に置かれましたが,禰寝氏が戦国時代に島津氏の配下になり,文禄5年(1596)の太閤検地によって薩摩国の吉利に移封されると,禰寝氏の旧領地は島津氏の直轄領となりました。大根占郷は禰寝郷から分かれて成立します。

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麓地区の町並み(2010年)
大根占麓の地頭仮屋は大根占小学校の東側,現在の錦江町保健センター付近に置かれました。地頭仮屋跡の横を佐多街道(国道269号)に沿って平行に馬場(街路)が延び,馬場に沿って生垣,石垣,武家門が続いています。上の武家門は腕木門。

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麓地区の町並み
大根占麓の石垣は切石積みで,鹿屋麓と同じく,赤みがかった凝灰岩が使用されています。鹿屋の海岸沿いに産出される荒平石でしょうか。

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麓地区の町並み
左右に石垣が続き,石倉や背の高いイヌマキも見られる。

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麓地区の武家門
腕木門。門の前に南国らしく蘇鉄が植えられています。

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麓地区の武家門
腕木門。馬場(街路)に沿って4棟の武家門が並ぶ。出水・知覧・加世田・蒲生を除けば,4棟の武家門が並ぶ麓地区は珍しい。

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麓地区の町並み
敷地内に立派なイヌマキの木が見られます。
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麓地区に残る武家門(左)と石柱門(右)
笠石の載る石柱門も見られる。

大根占_ 麓地区の町並み
馬場(街路)は真っ直ぐ延びた先に見通しの利かないクランクが設けられている。馬場の途中にクランクが設けられる例は各地の麓で見られます。






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麓地区の町並み
馬場(街路)の終点に出ると石垣の続く町並みが広がっています。広幅の街路の向こうは佐多街道(国道269号)の旧道。
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佐多街道(旧国道)の町並み(2008年)
旧国道の左右に古い石垣が続き,石柱門が並ぶ町並みが見られる。
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佐多街道(旧国道)の町並み
実に立派な石柱門(右上)が見られます。
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木場地区の町並み
旧国道から西側に一歩入った木場地区を走る街路に生垣や大きなイヌマキが見られる。

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木場地区の町並み
上の街路の先に武家門が残っています。

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木場地区の武家門(2008年)
上の街路に残っていた古い武家門(上下)。2013年訪問時は残っていましたが,現在は見られないようです。

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木場地区の武家門(2008年)
腕木門。
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木原地区付近の町並み(2008年)

姶良・阿多カルデラと薩摩藩の石垣について
姶良・阿多カルデラの噴出物である溶結凝灰岩は比較的柔らかく加工しやすいため,鶴丸城の石垣や石橋など土木建築の材料として広く用いられ,薩摩藩では他藩に見られない程の石の文化が発達しました。花棚石・川内石・加治木石・山川石・荒平石・蒲生石などが有名。それら地元産の石を用いた石垣や石塀、石柱門が各地の麓で見られます。

大根占電信局跡について(錦江町公報2012年6月号より)
日露の日本海海戦での「敵艦見ゆ」の警報や「本日天気晴朗なれども波高し」、東郷平八郎の「皇国の興廃この一戦にあり。各員一層奮励努力せよ」の命令などの第一報を本土で受信したのが大根占電信局だそうです。

訪 問:2010年4月20日(一部2008.7,2008.10,2013.2)
備 考:大根占麓に残る武家門は5棟(2013年時点)。
参 考:錦江町ホームページ,錦江町公報など

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