伊作は、薩摩半島の中西部に位置する中心地区で、伊作島津氏の領地でしたが、藩政時代は藩の直轄領となり、地頭仮屋が置かれました。伊作麓は、伊作城の山麓から東西に長く形成され、麓の名残が各地に残ります。

伊作島津氏は島津氏の分家の一つで、島津氏3代久経の次男・久長に始まり、代々伊作荘(阿多郡伊作荘)を領有します。伊作島津家は10代忠良の嫡男・貴久が島津氏宗家に迎えられるにともない、歴史に幕を下ろします。

地頭仮屋跡
1660年代に亀丸城(伊作城)から地頭仮屋が移転したとされています。明治2年に仮屋は廃止され、素読館、伊作小学校などに変わり、現在は中央公園となっています。

地頭仮屋跡

伊作の武家屋敷
武家門、石垣、生垣、イヌマキ、白壁の倉、母屋が背後の山と調和した見事な武家屋敷が見られます。雨上がりの生垣がみずみずしい。

地頭仮屋跡下の武家門
伊作の中心に見られます。石垣は切石を隙間なく積み上げ、組付けた見事なものです。

伊作小学校
前身は明治2年創立の素読館。島津忠良が幼少時に縛られたゆかりのある小牧・海蔵院の柱(日新柱)が小学校に保管されているそうです。

伊作街道沿いの武家門
伊作川の前を伊作街道が走り、街道沿いに武家門が見られます。麓地区。

伊作街道
背後の山が伊作城跡。

麓公民館
丘陵を上がった小牧山に海蔵院跡と南方神社がある。

麓地区の武家門
奥まったところに立派な武家門が見られます。

麓・小牧の町並み

窪田の武家門
窪田地区にも武家門が見られる。石造りの棟木が主屋根に載る珍しい造り。

窪田の武家門
右上の碑は伊作生まれの実吉安純博士の記念碑。実吉博士は日本で最初のエンジニアリング会社、日揮の創業者(実吉雅郎)の父にあたるそうです。

宮内地区の町並み
大汝牟遅神社のある宮内地区は伊作郷のもう一つの郷士集住地区。石垣や生垣が続く町並みが残ります。

伊作城(亀丸城)跡
伊作城は伊作島津氏の居城。伊作川と多宝寺川に挟まれた大きな山城です。島津忠良は伊作島津家第9代・善久の嫡男として伊作城で生まれます。子・貴久は近くの田布施・亀が城で生まれますが、貴久の息子(義久・義弘・歳久・家久)は伊作城で誕生したと言われます。

誕生石
本丸跡に忠良と4人の孫である義久・義弘・歳久・家久の誕生石が設置されています。右上は御仮屋城跡。先は切り立った崖。
海蔵院と日新柱について
島津忠良は幼少の頃小牧の海蔵院に預けられ、寺の和尚から度々柱に縛り付けられました。当時の柱は火事により焼失しますが、再建後の柱が日新(じっしん)柱として藩主が忠良公を偲ぶなど大切に扱われてきました。廃仏毀釈で廃寺となった後も地頭仮屋の土蔵で保管され、その後伊作小学校に移され展示されています。
訪問日:2008年6月3日(一部2007.11、2010.8)
備 考:伊作城址の西方に伊作島津家の菩提寺・多宝寺跡(石亀神社)がある。
参 考:吹上町郷土誌等。
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