鹿児島県と宮崎県に残る旧薩摩藩領内の外城と麓の町並み記録です。
都城





都城市は,宮崎県第2の都市で,藩政時代の都城は,本郷氏(都城島津氏)によって一帯が治められました。領主館のあった市役所付近に往時の面影は見られませんが,近くの早鈴町に足を延ばすと古い石垣や武家門など往時の遺構が見られます。

都城
都城島津氏邸(早鈴町)

上の都城島津氏邸は,都城領主・島津久寛が,明治12年(1879)に鹿児島から帰郷するときに邸宅として建てたものです。藩政時代に4万石を領有した領主にふさわしい邸宅と言えます。現在は都城市が寄贈を受けて一般公開しています。

本郷氏は、島津氏の有力分家で,南北朝時代に足利尊氏から薩摩迫一帯(現在の都城市山田町)を与えられ、地名をとって本郷氏を名乗りました。本郷氏は,島津氏4代忠宗の6男・資忠を初代とし,代々「都之城」(都島町)を居城としましたが,一国一城令の廃城により,大淀川の向いの平地(現在の都城市役所一帯)に領主館を建てて移りました。本郷氏は,祁答院に領地替えとなりますが,伊集院忠真の「庄内の乱」を鎮圧したときの功績によって都城に復帰し,島津本家の命により、1663年、姓を「島津」に改め、以後「都城島津氏」と呼ばれ,明治維新まで都城を統治しました。

都城
早鈴町の町並み
切石積みの石垣と生垣,袖付きの武家門が見られます。左右に延びる石垣と生垣が見事です。

都城
早鈴町の武家門
薩摩藩の麓でよく見られる腕木門

都城
早鈴町の町並み
早鈴町は住宅地であり,低い野石積みの石垣と生垣が続く一画が残っています。

都城
早鈴町の武家門(2010年)
腕木門。状態は良くありませんが,こちらの門も袖付きです。

都城
早鈴町の町並み(2010年)
切石を5段から6段積み上げた古い石垣が残っており、石垣の頂部に笠石を載せています。

都城
早鈴町の町並み
こちらの石垣も切石の5段積みで,頂部に笠石を載せたもの。早鈴町には古い石垣が比較的多く残っています。

都城
早鈴町の町並み
こちらの石垣は背が高く,切石を8段積み上げた立派なもの。広大な屋敷があったものと思われます。階段の上に小さい門が建ち,また,角を曲がると立派な武家門(下)が残っています。

都城 都城島津氏の領主館は,4万石の所領にふさわしい規模を持ち,城内の北口・東口・西口に番所が置かれました。左は東口の番所跡です。城内は,御門馬場・老中馬場・桜馬場・八幡馬場・北口馬場などの馬場が設けられました。老中馬場は,東口から御門馬場までの間を東西に走る通り。通りの一帯に領主一門をはじめとする重臣の屋敷が並んだことから,老中馬場と呼ばれました(案内板より)。

都城島津氏の領地支配
都城島津氏は,広い領内を11の地区(五口六外城)に分け,それぞれの地区に地頭を置いて支配しました。各地に麓の地名が残ります。

都城
早鈴町の武家門
袖に加えて左右に小屋根も付く立派な門です。

都城
都城島津氏邸
約5000坪の広大な敷地をもつ。敷地内に本宅(主屋・離れ)・外蔵・石蔵・剣道場・社・御門が配置され,都城島津家に伝わる史料や武具を展示する伝承館も敷地内に設けられています。

都城 御門(左)
「御門」と呼ばれる表門は腕木門で高さ3.9メートル,間口3.4メートル。1973年の昭和天皇の宿泊にあわせて車が通れるように間口が広げられたそうです。「主屋・離れ・蔵・御門」などは国の登録有形文化財。本宅と伝承館は,観覧料を払って見学することができます。

庄内の乱について
太閤検地により, 1595年,本郷氏に代わって,新たな領主として伊集院忠棟が都城に入部します。伊集院忠棟は島津氏の筆頭家老であり,島津氏の忠臣ではありましたが,島津氏の家督を継いだ忠恒(義弘の子)によって京都・伏見邸で斬殺されます。知らせを受けた忠棟の子・忠真は都之城と領内の外城に立て籠もり,島津氏に反旗を翻しました(庄内の乱)。庄内の乱は島津氏の勝利に終わり,北郷氏が再び都城に戻ります。

島津荘について
島津荘は,平安中期に平季基によって開発された日本最大の荘園です。鎌倉幕府から島津荘の下司職に任命された惟宗(これむね)忠久が,荘園の名前をとって島津姓を名乗ったことから(島津氏の始まり),都城市は島津氏発祥の地と呼ばれます。その後,初代忠久は,薩摩の出水に木牟礼城を築いて拠点を移し,島津氏の基礎を築いたことから,出水市も自分の所を島津氏発祥の地と呼んでいます。

都城
旧都城市民会館(2010年)

旧都城市民会館は,都城市の市政40周年を記念して1966年に市役所近くに建てられました。老朽化により2019年に解体され,現在は更地となっています。初めて建物を目撃したときはその異様な外観に実に驚いたことを覚えています。1960年代の建築運動であるメタボリズム建築の傑作品と言われましたが,木造建築や石造建築と異なり,近代建築を将来に残すことは実に難しいことです。

訪 問:2010年5月4日
備 考:早鈴町に残る武家門は都城島津氏邸を含めて5棟。
参 考:都城市HP,都城島津家史料と都城の歴史等等

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