穆佐(むかさ)は,薩摩藩の国境近くに創設された関外四ヶ郷の一つで,関ヶ原の戦いから帰還した島津義弘によって外城が置かれました。穆佐麓は穆佐城の山裾に作られ,現在も小さい規模ながら麓の雰囲気と遺構が残ります。

穆佐麓の町並み。背後の山が穆佐城跡

麓公民館

穆佐城は,宮崎県内で古くから存在していた山城です。日向三高城の一つ,穆佐院高城と呼ばれ,室町・戦国時代に伊東氏と島津氏が争奪戦を繰り返し,島津氏の所有後,南東の山裾に地頭仮屋(旧穆佐小学校跡)が置かれました。当時の堀や土塁,曲輪などの遺構が現在まで良好に残されています(国指定遺跡)

穆佐麓の町並み
穆佐城が廃城になると,城内に屋敷を構えていた家臣(「城内衆」)が下城し,穆佐城の周囲(南裾)に屋敷を構えました。石垣と生垣の組合せが麓らしい。

穆佐麓の石垣
石垣は平石積みで頂部に笠石が載る

穆佐麓の石柱門

穆佐麓の石垣(上下)
麓にある施設(穆佐城址ガイダンス)を訪れたら,施設の館長さんから親切に穆佐城の歴史を色々説明して頂きました。穆佐麓は小さな麓で,穆佐城址の南裾に沿って平石積みの石垣が続き,山崎麓に似た町並みが見られます。
訪 問:2020年11月29日
備 考:上井覚兼日記/島津久豊の墓/島津忠国誕生杉/穆佐城まつり/穆佐城址ガイダンス施設
参 考:史跡穆佐城址(宮崎市教育委員会),文化遺産オンライン,わが町たかおか(公報誌)等
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