藩政時代の溝辺郷は、麓・崎森・三縄・有川・竹子の5か村からなり,溝辺城に近い麓村に地頭館が置かれました。その後,地頭館は麓村から有川村に移転し,溝辺郷の政治の中心は有川村に移ります。現在の溝辺総合支所近くに僅かながら往時の遺構が残ります。

有川の町並み(2006年)
溝辺城は,鎌倉時代の末期に溝辺氏によって築かれたと伝わります。溝辺城の城主は,溝辺氏から本田氏,本田氏から肝付氏(兼固)へと変わり,郷土誌によれば,大崎から肝付氏の家臣が城の近くに移り住んだと伝わります。麓村に置かれた地頭館は1753年に初代の地頭が補任されると,麓村から有川村に移されました。地頭館が移された理由は定かでありません。

有川の町並み(2013年)
上の町道は当時の有川村を通る薩摩街道・大口筋の一部。山ヶ野金山へ通じる道筋でもあったようです。右側が溝辺総合支所(地頭館跡)。総合支所の向かいに高い石垣が続く。

有川の石柱門
町道沿いに石柱門が残ります。石柱の頂部に載る笠石は珍しい三角柱の形をしている。

有川に残る石垣(左)(右)
町道沿いに高い石垣が続く。左の石垣は自然石をそのまま積み上げる野面積みでしょうか。右の石垣は方形の石を密着させて積み上げる切込み接ぎのようです。

有川に残る石垣
こちらの石垣も上と同じく自然石をそのまま積み上げた野面積みのようです。生垣がつくる水平線がきれいです。

有川に残る石垣

有川の町並み
上の町道を進むと大王橋という小さな橋が網掛川に掛かります。以前の石橋は,近くの山ヶ野金山から金鉱を加治木港まで運ぶ道筋にあり,第2金山橋と呼ばれました(第1金山橋は加治木に,第3金山橋は溝辺町竹子に所在します)。
麓村について
地頭館が置かれた頃の麓村(現在の大字麓)は,溝辺郷の最初の政治の中心で,郷土誌によれば,溝辺郷の郷士は主に麓村の玉利・石峯などに居住し,分散して有村や竹子などに居住したようです。地頭館が麓村から有川村に移転されても郷士の移動はさほどなかったと思われます。現在の大字麓は,玉利地区を中心に区画整理が進められ,石峯地区に往時の面影が残ります。
十三塚原について
十三塚原は霧島市から姶良市に広がる標高240〜280mのシラス台地です。1972年に鹿児島空港(旧鴨池空港)が十三塚原の台地に移転しました。空港のターミナルビルは溝辺町麓に位置し,滑走路や空港敷地の周囲に茶畑が拡がります。十三塚原で育てられるお茶は溝辺茶と呼ばれ(現在は霧島茶に統一),鹿児島県を代表する茶の産地です。
訪 問:2013年5月3日(一部2006.11)
史 跡:溝辺城跡/瑞泉山心慶寺跡/鷹屋神社/飯留神社/高屋山上陵
参 考:旧溝辺町郷土史等
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