旧東郷町は旧川内市に隣接する町で,現在は薩摩川内市の一部です。藩政時代の東郷は,斧淵・鳥丸・宍野・藤川・南瀬・山田・白浜・田海の各村からなり,地頭仮屋は斧淵村に置かれました。鶴が岡城の山裾に麓の遺構が見られます。

東郷麓の近景(2008年)
中世の東郷は,宝治2年(1248)に薩摩に下向した渋谷氏一族(後の東郷氏)の領地でしたが,東郷氏が島津氏に降ってその家臣となり,その後佐土原に移封されると,島津忠長(後の宮之城島津氏)が新たな東郷領主となり,鶴が岡城を居城としました。島津忠長が慶長5年(1600)に宮之城の虎居城に移ると,東郷は島津氏の直轄領となり,地頭が置かれました。

鶴が岡城跡の案内図
鶴が岡城(旧斧淵城)は,中世の豪族・大前(おおくま)氏の築城と言われ,歴代の領主が鶴が岡城を居城としました。

鶴が岡城跡(2008年)
鶴が岡城跡の麓に武家門構えの立派な屋敷が見られます。鶴が岡城が築かれた一帯は三ヶ郷(谷ノ口・小路・城内)と呼ばれています。

東郷麓の武家門
腕木門。左右に石垣が続き,背の高いイヌマキも見られます。

東郷麓の武家門
左右に小屋根と袖壁が付く立派な門です。潜戸付き。

鶴が岡城跡の遠景(左)
突き当たりの左側が地頭仮屋跡。小路に向かう国道の入口に東郷元帥祖先の墓と書かれた標柱が立っていました。現在の標柱は渋谷重親墓碑と書かれています。東郷元帥(東郷平八郎)は渋谷東郷氏の子孫で,鹿児島城下の加治屋町に生まれ,父・東郷実友は下級城下士(後に一代小番)でした。

東郷麓の武家門(2008年)
山の麓に2棟の立派な武家門が屋敷とともに並ぶ姿は,多くの麓を訪れましたが,貴重な組合せです。

東郷麓の武家門
腕木門。こちらも左右に小屋根と袖壁が付く。扉は観音開きで潜戸付き。

東郷麓の武家門

小路付近
三ヶ郷の谷ノ口から小路にかけて武家門が点在し,麓らしい遺構が残ります。

東郷麓の武家門(2008年)
訪問時,屋敷を管理されていた地元の方と少しお話ができました。門に掛けられた表札に古い字体で醫学博士と書かれています。

小路磨崖仏(こうじまがいぶつ)
先ほどの地元の方に場所を教えて貰いました。解説板によると,中央の丸い彫刻部分が,鶴が岡城主渋谷東郷氏の武運長久を祈念して1517年に彫られた磨崖仏。左下の丸い穴が開いている部分が,1755年に寄進された石灯籠です。

小路の地頭仮屋跡(2026年)
当時からものか高い石垣が残ります。小路に移転される前の地頭仮屋は,ここから少し離れた川内川沿いの舟倉の後馬場(現在の東郷支所付近)に置かれていました。

舟倉地区の町並み(2008年)
船倉は大正時代に国鉄宮ノ城線が開通するまで川内川を往来する舟運の拠点として栄え,戦後も旧東郷町の商業の中心です。右上は舟倉地区に残る石柱門。

藤川天神と臥竜梅(2026年)
旧藤川村。藤川天神は菅原道真公を祀ります。公式には道真公は太宰府の地で死去したとされますが,身の危険を感じた道真が太宰府を逃れ,薩摩国高城郡の藤川に隠棲し,同地で亡くなったという伝説が当地に伝わります。伝説が生まれた背景は不明ですが,江戸後期の1843年に編さんされた「三国名勝図会」に,藤川天神に伝わる道真伝説が記録されているそうです。

宍野地区の田の神さー(2026年)
田の神ロード沿いに10体の田の神様が建っています。平成10年10月に宍野下さなぼり会により設置されました。

東郷橋(2008年)
昭和10年に川内川に架設されたトラス橋。陸軍演習のための資材搬入路として作られたと伝わり,現在も現役の県道橋として使われています。歴史的な近代橋梁の一つです。
東郷文弥節人形浄瑠璃について
旧東郷町の「文弥節人形浄瑠璃」は,江戸時代の参勤交代の際に島津の殿様の随行役をしていた東郷の郷士が,郷里の師弟の士気を高めるために,上方から文弥節の師匠を連れ帰り,広めたと言われます。斧淵の三ヶ郷集落(小路・谷ノ口・城内)に伝承されています。山之口の文弥節人形とともに国の無形民俗文化財に指定されています。
訪 問:2008年9月15日(一部:2016.5,2026.2)
史 跡:鶴が岡城跡/小路磨崖仏/渋谷重親墓碑/藤川天神
参 考:薩摩川内市ホームページ/文化遺産オンライン等
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