大村は旧祁答院町の中心地区で,旧祁答院町は昭和30年(1955)に蘭牟田・大村・黒木の各村が合併し成立した町です。藩政時代の大村郷は,大村城の麓に地頭仮屋が置かれ,瀬早川の対岸に麓の遺構が見られます。

大村麓の町並み(2009年)
中世の祁答院は,旧祁答院町と現在のさつま町の町域を含み,薩摩に下向した渋谷氏一族の祁答院氏によって治められました。祁答院氏は虎居城を居城とし,入来院氏・東郷氏らと結び,祁答院に勢力を保ちましたが,島津氏との抗争に敗れ,没落します。平定後の祁答院領には島津歳久が入り,祁答院十二郷(佐志・湯田・時吉・虎居・平川・船木・久富木・鶴田・紫尾・柏原・求名・中津川)が歳久に加増されました。大村は祁答院十二郷に含まれず,島津氏の直轄領とされ,地頭が置かれました。

大村麓の町並み(下手地区)
県道51号線から瀬早川に架かる永福橋を亘った西側一帯に麓らしい遺構が見られます。幅員の狭い街路沿いに石垣や石柱門が並びます。

大村麓の石柱門(下手地区)
麓内に笠石を載せた石柱門が多く残ります。

大村麓の町並み(下手地区)
上の石柱門も立派です。電柱以外,上の街路は藩政時代とほとんど変わってないかも知れません。

永福寺(下手地区)
大村商店街の一角にある寺院。大村商店街は麓集落に隣接しており,野町から発展したと考えられます。

大村麓の秋(2007年)

石柱門(左)と石垣(右)(2007年)
上の石柱門も立派です。麓の木々は落葉し,早くも冬支度のようでした。

大村麓のバス停(2007年)(左)
県道51号線沿い。大村麓の地頭仮屋は,県道51号線の東側,現在の祁答院小学校の敷地に置かれました。小学校の裏山が大村城跡。
大村城は平安末期に祁答院郡司の大前氏により築城された山城。大前氏一族と祁答院氏一族が攻防を繰り広げ,祁答院氏の支配下に置かれました。祁答院良重が新城・松尾城を築いた後,古城と呼ばれる。一国一城令により廃城。
祁答院良重について
祁答院良重は祁答院氏13代当主で戦国武将。虎居城を居城とし,祁答院から帖佐まで勢力を拡げ,東郷氏・入来院氏とともに島津氏に対抗しました。大隅合戦(1554〜1555)では岩剣城に籠もって奮戦しましたが,島津勢に敗れ祁答院に退却します。良重は祁答院に退いた後も一定の力を保っていましたが,1566年の正月に妻・虎姫により刺殺されると,祁答院氏は領地経営が困難となり,以後没落の途を辿りました。
訪 問:2012年9月12日(一部:2007.11)
史 跡:大村古城跡/滝聞城跡
参 考:薩摩川内市ホームページ等
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